「地名」タグアーカイブ

秋葉原~あきはばら・あきばはら~

秋葉原を略してアキバと呼びます。でも、正式名称は「あきはばら」。ときどき、アキバという名前につられて「あきばはら」とよんでいる人もいます。これは間違い…とは言えないんです。

秋葉原の名前の由来は、秋葉神社(アキバジンジャ)に由来します。現在の秋葉神社は台東区松が谷にありますが、かつては現在の秋葉原にありました。そのため、この地域は「秋葉神社の近くの原っぱ」の意味で秋葉原(あきばはら、あきばっぱら)の名で呼ばれていました。それは、秋葉神社が鎮火神社と呼ばれていた頃は鎮火原と呼ばれていたことからもうかがいしれます。その後、明治23年に駅ができたときに「秋葉原(あきはばら)」の名前が採用され、以後は秋葉原(あきはばら)という名前が一般的になりました。


ちなみに、秋葉原電気街とはいいますが、ほとんどの店は千代田区外神田や神田須田町にあります。秋葉原は台東区秋葉原の地名ですが、JR・東京メトロの秋葉原駅は両方とも千代田区にあります。実は、南セントレア市のように関係のない地域の名前なのです。

最近は高層ビルの建設が進み、おしゃれなカフェや量販店、ちょっとしゃれたレストランや居酒屋などが増えてきました。10年後の秋葉原はちょっと想像できませんね。

参考URL
http://www.akiba.or.jp/

セントレアって?

何かと話題の中部国際空港の愛称、セントレア。今回は本日オープンしたこのセントレアについて。

南セントレア市のイメージが先行していますが、実は「南セントレア市」の予定していた領域にに含まれていません。名前の通り、この市より北にあり、地名に含まれています。その地名とは「愛知県常滑市セントレア1丁目~5丁目」。郵便番号は「479-0881」です。セントレアは日本で5番目の国際空港で、3番目の海上空港。そして、日本初の民間会社の運営する空港です。

セントレアの由来は「Center + Air」。「中部の空港」の意味以外にも「中心的(CENTRAL)機能を果たす空港(AIRport)」という意味があります。ちなみに、この名前を提案したのは、「愛知県」の人ではなく、「愛媛県」の人です。一文字違います。

ちなみに、旧・南セントレア市の候補に「遷都麗空市」という名称がありましたがセントレアを漢字で書くことはないでしょうね。どれだけふざけてたんでしょう…?。


追記
国内の他の国際空港は那覇・新千歳・関西・成田です。

参考
http://www.centrair.jp/
http://www.cjiac.co.jp/kouhou/contents/2000/aisyou.html

なぜ京都府と大阪府だけ「府」なのか

実は、かつては11府ありました。京都府・大阪府に加え、東京府があったことは紹介しましたが、他にも8府あったのです。

  • 神奈川府
  • 新潟府(越後府から改称→分離→統合)
  • 越後府(新潟府から分離→統合)
  • 甲斐府
  • 度会府
  • 奈良府
  • 箱館府
  • 長崎府

これらの府は当時の明治政府が重要と考えた地におかれていました。廃藩置県後は特に重要とされた東京・大阪・京都にのみ府がおかれ、他の地域は県に改称されました。

終戦後、法的には府と県の違いが無くなるわけですが、道と同じくかつての呼称がそのまま残っているわけです。

北海道はなぜ「道」なのか

北海道だけ北海「道」と呼ばれています。これは、北海道だけ他の府県とは違う由来(令制国制)で名前が付けられたからです。

北海道が誕生したのは1869年(明治2年)。それまではアイヌ民族のすむ土地という意味の「蝦夷地」と呼ばれていました。明治元年には箱館府によって統治されていましたが戊辰戦争に巻き込まれてしまい、戦争中に開拓史が設置されることが決定していました。明治2年に箱館府は一時的に箱館県と称されています。

明治2年に開拓史がおかれるに当たって蝦夷地ではまずいと言うことで名前が付け替えられることになります。このとき、蝦夷地の調査をしていた松浦武四郎が新たな名称を提案しますが、この中に含まれていた「北加伊道」「海北道」を参考にして、令制国制によって制定されていた「東海道」「南海道」「西海道」の名前に合わせて「北海道」と名付けられることになりました。加伊というのはアイヌ語で国という意味だったということです。
このとき、同時に北海道の中に11国が制定されています。

開拓使が廃止された後は札幌県、函館県、根室県の3県になりましたが、明治19年、北海道庁による統治形態へと移行し、道庁とその支庁によって統治が行われてきました。

第二次世界大戦終戦後には法律的にも他の都府県と同様の扱いになり、現在の都道府県制となりました。ちなみに、現在でも北海道は他の府県と違う制度を取っており、各支庁が存在しています。これは、旧制度の名残と面積が広いことから北海道庁だけでは統治が難しいことからといわれています。

将来、道州制が取られることになったとしても北海道は北海道のままかわらないようです。


参考URL
http://www.pref.hokkaido.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93#.E6.94.AF.E5.BA.81

東京府と東京市

現在、東京を東京府や東京市とは言いません。でも、東京府東京市生まれの方がまだまだいらっしゃいます。

昭和18年に府・市制が廃止されて東京都と特別区になるまで、東京都は東京府とよばれており、その中心部が東京市という市でした。東京という名前は京都からみて東の京(首都)であることから名付けられたと言います。東京市は明治22年に誕生した変則的な市です。東京市と同じような特別な市には京都市と大阪市があり、3つの市には市長がいませんでした。

東京市は誕生当時は15区で昭和7年に35区になり、現在の23区とほぼ同じ広さになりました。昭和18年に東京都が誕生したときは35区で、昭和22年に22区になり、同年練馬区が板橋区から独立して23区となりました。

ちなみに東京府が生まれたときは江戸府と呼ばれていました。


参考
http://www.metro.tokyo.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD

「新宿」はなぜ新宿と呼ばれるか

最近はカタカナの市名が増えるかもしれないと言うことで話題になりましたが、地名はいろいろな経緯で誕生しています。

今回は新宿のお話。

新宿は「新しい宿」と書きますが、実際に新しい宿ができたことから新宿と呼ばれるようになり、それが現在まで続いている地名なのです。その由来は江戸時代の初期にさかのぼります。

当時から、江戸は甲州街道によって甲府方面と結ばれていました。その出発地点は日本橋で、最初の宿場町が現在の高井戸にありましたが日本橋からは少し遠すぎ、旅人にとっては何かと不便な場所でありました。そこで、新たな宿場を設け、旅人の便益をはかることになったのです。この新しい宿場は、その地域を治めていた内藤氏が幕府に返上した屋敷地に置かれたことと、新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれることになり、現在の新宿の由来となったのです。

ちなみに、現在の新宿区は四谷・牛込・淀橋の3区が合併して昭和22年に誕生しました。新宿区が新宿区でない時代を知っている人もまだまだいるようです。


参考
新宿区
http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/